上茜部城
堀秀政生誕地

別名 茜部城  付近住所 岐阜県岐阜市茜部本郷2 現在-
2007/9/15 碑・案内板アリ


堀氏 上茜部城は戦国時代堀秀政の先祖資重が本郷の地に築き天正年代(1570)秀政の居城であった
秀政は天文22年(1553)城内に堀秀重の嫡男として生まれ幼名菊千代 長して久太郎と称し13才にして信長に仕へ数多く武勲をたて天正9年(1581)には長浜城主 翌10年本能寺の変後秀吉の先鋒として光秀を山崎に討つ。その智勇をめで羽柴の称号を賜る
其の後 賤ヶ岳の合戦に功をたて佐和山城主 長久手の合戦 紀伊根 四国征伐の功により従四位下侍従左衛門督となる 天正13年(1585)北ノ庄城主として18万8百石余を拝領 同15年(1587)秀吉に従い九州島津征伐 同18年(1590)秀吉の小田原城攻めに一方の大将として参戦中 同年5月27日陣中にて病死す 38才
秀政は出世の早い立派な人格者であった生前家臣庶民に慕われ名人品行左衛門讃えられた秀吉は秀政の死を痛み悲しみ嘆いた 茲に秀政没後400年に当り顕彰碑を建立し当地本郷出身の秀政の遺徳を讃えると共に郷土の歴史文化遺跡の究明の一歩と心豊かな郷土愛連帯感の育成に役立つものと念願する。